香りの視点 No.002 「息」

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華雪「息」 墨 306mmx466mm

Kasetsu "Breath" (Iki) Ink 306mmx466mm

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一井りょう「息」 4×5 フィルム :アナログ(手現像・手焼き)

Ryo Ichii "Breath" (Iki) 4x5 film : analogue (developed by hand)

 
華雪さんこんばんは。華雪さんと「香り」から連想する言葉の対話を楽しみにしていました。 なぜなら、何かを考えるとき、これまで私は記憶にある五感や経験から 無意識に思い浮かべることがほとんどでした。前回、華雪さんからの便りで「息」について話してくれましたね。「深く息をすると、まず新しい空気がひんやりと鼻腔を通り過ぎる感覚があって、 その後に香りや匂いがやって来るような気がする」(華雪) *1私たち、動物や植物は生きる為に呼吸をしているけど、 とりわけ人間は、香りを感じることができて何かを想像できる感覚をもちあわせています。 そして、私たち日本人は漢字を使って会話をしていることから、 書家である華雪さんが漢字をなりたちから深く視る感性に触発されています。 「呼吸という言葉に「呼」がという字が入っているのはおもしろいなと思います。 呼んで吸うのか…と。そこから思いついたのは息という字で、この象形文字は 鼻と心臓の形です」(華雪) *2 先日、私たちは日常にある香りを探し、ゆっくりと街を歩きながら 初めて一緒に作品をつくりましたね。*3 鼻から大きく胸をつかいながら「息」をしてみる…..すると普段気がつかないものまで 感じていた自分がいました。 ほんの少し意識するだけで、感覚のアンテナが全開になったと同時に とてもアーティスティックな一日でした。 生命に欠かせない呼吸によって心が豊かになる。 いい時間でした….... 本当にありがとう。 次回の「香りの視点」のテーマは、「息」を作品にしませんか? 華雪さんにとっての 「息」ってどんなものですか? りょう

*1 No. 001 香りの視点「匂い」Process_02 から引用。 *2 No. 001 香りの視点「匂い」Process_02 から引用。 *3 書家の華雪さんと写真家の一井りょうさんが、THREE TREE JOURNALトップページのスライドバナー作品を制作 (「丁」書:華雪、写真:一井りょう)。今回の制作は見ることも触れることもできない香りを、 普段の生活の中で感じる場所に 「丁」を使って留め、「香りを視る」視点を探すこと がきっかけだった。 水、コンクリート(西麻布/ギャラリーMITATEにて)

華雪さん元気にしてますか? 返事を待たずに、続けて便りします。 私の考えがふわっと湧いてきて、早く華雪さんに伝えたいと思いました。私にとっての「息」は、写真を撮る瞬間にとても大切な役割があります。 私はシャッターを押す瞬間は、息を止めています。 これは無意識なのですが、体とカメラが一体になるというか。 息をしながら、リズムを刻んでいます。ゆっくりと繰りかえす時….... 激しく繰りかえす時….... それが調子のいい時は、思いがけない写真が写ることもある。私は時々、好きな写真集を繰り返し見ています。 写真の面白さは、「写真に撮り手の息づかい」が見えることです。 写真の中から シャッター音を感じることも……私は 「香りの視点」の作品をアナログ大判カメラで撮影しています。 華雪さんには、まだ見てもらってないですね。 またいつか、このカメラの息を聞いてもらいたい。 華雪さんの 「息」も楽しみにしています。 よいゴールデンウィークを。 りょう
りょうさん こんばんは。 メールの返事を書きかけていたので、それをまず送ります。 「息」について書いたメールを「香りの視点」No.01「匂い」のProcess_02で送りましたが、 以前から深く息をすることを、それほど強く意識していたわけではありませんでした。 THREEの方から「THREEのハンドクリームを試してみませんか」と手のひらに 出してもらったことが、息や呼吸について考えるきっかけでした。 手になじませると、「香りはどうですか?」と訊かれ、 ハンドクリームをつけた手のひらで顔を包むようにして息を吸いました。 すると、どこかで嗅いだことのあるような香りだと思い、 それを確かめるために自然と呼吸が深くなっていました。 わたしの仕草を見ていた彼女が 「ふだんこんな深く息を吸い込むことって少ないですよね」と言われ、 そのとき、呼吸ってなにげなくしているもので、 普段は、とても浅いものなのだと気づいたんです。 それから気をつけて、たまに深く息を吸ってみるようになりました。 先日、りょうさんと一緒に街のあちこちを半日歩きながら、 辺りにどんな匂いや香りが漂っているのかを探してみたのは、おもしろい体験でした。 深く息を吸い込み、かすかな匂いや香りを感じようとすることが、 街を目で見ることとは違い、ふだん意識にあまりないことだったからです。 「息」の字を調べてみると、その象形文字は鼻と心臓の形ですが、 心の状態が呼吸にあらわれる、と字典の解説は続きます。 これまでずっと「息」は、呼吸という身体的なことだけを示していると思っていたのですが、 そこには心の状態も含まれているのだと知りました。 りょうさんが書かれていた「生命に欠かせない呼吸によって心が豊かになる」ということも、 字典に書かれていることと結びついているようにも思っています。 次回、「息」をテーマに制作してみたいです。 まだそれがどんなかたちになるのかわからないですが。 ふたつめのメールへの返事も近くまた。 華雪
りょうさん今日は朝からベランダの植物の手入れをしていました。 今は薔薇が咲き始めています。 薔薇とは3年暮らしています。育てているとはとても言えません。 地方での展示などで長期間家を留守にすると、水も遣れず、枯れるがままになり、 けれど戻って、しばらく世話をすればまた芽を吹き出す。 ときどき、わたしなんていなくてもいいのかもしれないと思うときもあります。このところ日々の慌ただしさに追われて、薔薇を気にかけることなく過ごしていました。 ベランダにはほとんど毎日出ていて、例えば洗濯物を干しながら、 いつも薔薇は視界にあります。 見ているけれど、なぜか近寄りませんでした。 それでも薔薇は先々週辺りから蕾をふくらまし、花を次々咲かせていました。咲ききった花は切り落とさないと根が弱ります。 だから今日、花を切るために、久しぶりにしゃがんで薔薇の鉢に近づきました。 切った花に顔を寄せると、薄甘い匂いがした。確かにしたと思いました。 そのとき、急に自分は勝手だと思いました。 たぶん、今も辺りにはたくさんの匂いや香りが漂っていて、 薔薇も数日前から匂いを漂わせていたはずなのに、今、顔を寄せて、 匂いを嗅ごうとして、薔薇の香りに気づいたと思った。 そして、それがまるで今はじめてのことのように、こうしてなにかを考えはじめている。 薔薇はずっと近くにいたのに、気に留めなかった自分がいただけなんです。そのとき、「息」の字を書く時を思い出しました。「息」の字が、鼻と心臓のかたちだと字典にあったと、前に書きました。 この字を活字の通りに書けば、鼻である「自」と心臓である「心」は、 現実の鼻と心臓の位置のように縦並びで、すこし離して書かれていますよね。 鼻である「自」を書いて、それから「心」を書く。 字の上では、鼻を示す「自」と心臓を示す「心」の間には余白があって、 繋がっていないように見える。でも書いている間は一続きの時間です。 一方で身体的には鼻と心臓は繋がっていて、 そこを行き来するものについて 人は気に留めたり留めなかったりする。そんなことを考えていたら、 「息」の字の意味にある「心の状態が呼吸にあらわれる」ということを すこしだけ知ることができたような気がしました。 見ようとしているすこしのものと、多くの見ようとしていないもの。 感じたと思った匂いや香り、 そして気に留めていない他の多くの辺りに漂っているはずの匂いと香り。 その間を繋ぐものはなんだろうかと考えています。 「息」の字の鼻である「自」と心臓である「心」の間に少しある隙間。距離。 それを繋ぐものはなんだろうかと考えています。 華雪
りょうさんこんにちは。先日、『マリオ・ジャコメッリ写真展』*1 を見てきました。 以前は、彼のコントラストの強いモノクロの写真に つくりもののような印象を持っていました。 けれど数年前、彼の母親が勤めていたホスピスの人々を捉えた写真群をはじめて見たとき、 その印象が変わりました。自分のホスピスの人々へのイメージ、それは最期の時間を生きる人というものでしたが、 その写真からは違った印象を受けました。 そこには、その強いコントラストのせいか、目の前の時間をただただ生きている人が いるように思えたのです。その写真をもう一度見たいと思って出かけてきました。展示の中には作家の言葉がいくつか置かれていて、 「それぞれの映像が一つの瞬間であり、それぞれの瞬間が一つの呼吸の様なものだ。 一つ前の呼吸が次の呼吸より大切だということはない。呼吸はすべてが停止するまで次々と続く」とい うものがありました。 彼の写真は、一瞬という時間を切り取っている。 それはその瞬間瞬間を切り取り、 切り離すことが出来ない現実の時間の流れの一瞬を見つめ、 記録しているように思います。 時間というのは常に流れています。 それは確かなことです。 そして、その写真は、被写体と呼ばれる人やものやこと、 さまざまが止まる、終わる、消えるといった状態になるまで延々と続く、 その変化を残すという感覚で撮られているわけではなく、 続いていく事実を、現実を、 見る側に、改めて続く、続いていくものだと思い起させるために、 そこでの呼吸の一瞬を残そうとしているように感じました。 わたしも字を書く時に「息」がつくるリズムを少し意識することがあります。 けれど、ジャコメッリの言葉を読んで、 その意識が自分の思い込みのような気がしてきたのでした。 呼吸をすると、時折感じて記憶に残る匂いや香りもあれば、 気づかず通り過ぎてしまうものもある。 そう思うと、この間のメールに書いた薔薇の匂いも そういうもののひとつのように思えてきました。 それを「息」という字を書くことでどんなふうに書くことができるのか。 まだ答えは出ません。 呼吸し、匂いや香りを吸い込む鼻である「自」と、 呼吸した空気を受け止める臓器であり、 そこにある匂いや香りを感じるのかもしれないこころでもある「心」の間の余白に なにを見立て、それをどう書けばいいのかを考えています。 以前のりょうさんからのメールに、「息」は写真を撮る瞬間にとても大切な役割があると書かれていま した。わたしもまた、ジャコメッリの言葉と写真に触れたことで、「息」と時間について考えていまし た。そしてそこから匂いや香りについて想像がまたすこし膨らんだように思っています。 これから、りょうさんにとっての「息」の中の香りがどんなかたちになってあらわれてくるのか、 そしてその背景にメールには書かれていないどんな思いや考えがあるのか、 また聞かせてもらえたらと思っています。 華雪

*1 『マリオ・ジャコメッリ写真展』 2013 年3 月23 日(土)~5 月12 日(日)まで東京都写真 美術館で開催された、イタリアの写真家マリオ・ジャコメッリの展覧会。

こんばんは。便りありがとう。今日、華雪さんへ返事を書いていました。 『マリオ・ジャコメッリ写真展』に行かれたのですね。 確かに、彼の作品は白黒写真の強いコントラストで人間の生と死を感じます。 今回の展示を見られなかったのが残念に思いました。 以前、華雪さんがマリオの話をしてくれたことは、よく覚えています。 華雪さんが送ってくれたメッセージは深く私に届きました。 本当に共感します。 「一瞬という時間を切り取っている」 私がいつも写真に向かう時に大切にしている感覚です。 「時間というのは常に流れています」 今日、華雪さんの便りを見て、息がとまりました。 私が今日、送ろうと書いていた便りです…… (同じ場所にたどり着いていることに驚き、華雪さんと私の間に同じ波長のようなモノを感じます) 私は今回の「息」について、「特別なものではない、日常の中で感じるなにか… 」を 繰り返し考えていました。 そして「香り」を … 華雪さんが話してくれた言葉を思い出しながら。 「私たちは、毎日、呼吸しながら時を刻んでいる」 ------ 生まれてから繰り返される 「息」------ ふと思いました。 時計にとっての息とも言える「歯車」を撮りたい。昔からあるアナログの古い時計を。 心臓の音や香りの瞬間を時計の「息」に置き換えて、写真に切りとりたい。 私は、先週、西荻窪にある古時計のお店『トライフル』を訪れました。 一期一会の出会いでした。 店内にある手で巻かれたゼンマイ式のたくさんの時計から聞こえてきた音は、 以前、実家にあった、かけ時計や 祖父母との想い出の時計に似た置き時計… 一瞬に記憶が蘇る瞬間でした。 華雪さんにもそんな記憶がありますか? 店主の寺山さんは古時計に惹かれ、ご自身で修理もなさりながら、古い時計を蘇らせています。 多くの時計に出会いながら、時計をあける時に独特の香りを感じるそうです。 それは、真鍮で作られたネジや油の香り、時計の顔とも言える木や金属の香り…。 そして、持ち主の方がどのようにその時計と過ごしてきたのかが、わかるといいます。 本当に驚きました。 アナログ時計には、決して便利ではないけれど、手をかけながら、 大切に付き合っていく物への想いを教えてくれている。 古時計と「お互いの息が合う」瞬間があります…と寺山さんが話してくれました。 撮影した歯車は時計の心臓で「一番車」と呼ばれています。 機能美の中に落ち着く香り。 香りには嗅覚で感じるものと、香り漂う美しさの感覚に触れるものがあります。 私は歯車の美しさの香りを撮影しました。 視点には、枠にとらわれない広がりがあるからこそ、人は思いがけず目の前に現れた出会いに高揚する のだと思う。 華雪さんへ「漂う息」を送りたい。 これから、プリントで作品に仕上げていきます。 この作業で、私自身の「息」が吹き込めたらと思っています。 いい夜を。 りょう
りょうさん こんばんは。 先日、りょうさんの「息」のかたちを見せてもらって、 それから改めて、わたしの「息」についての考えをまとめてみました。 「心の状態が呼吸にあらわれる」、それが「息」の字の示す意味でした。 この間のメールに書いたベランダで薔薇の匂いに気がついたとき、 ずっと香っていたはずの匂いにふと気づいた。気づいたと思いました。 呼吸も匂いも香りも、ごく自然にあるものです。 でもその存在に気づくか気づかないかは、 自分次第、つまりわたしの心、気持ち次第であるのかもしれないと、 それから考えるようになりました。 そんなことを考えながら「息」の字を見ていると、 鼻をあらわす「自」と、心臓をあらわす「心」は身体の機能としては繋がっているのに、 字ではその間が余白になっています。 それが不思議に思えてきました。 けれどその余白になにを感じるのかも、 やっぱり自分次第なのではないかと思ったのです。 それから「息」の字を書き出すまで、その余白についてずっと考えていました。 そして一続きで「息」の字を書こうと決めました。 草書と呼ばれる一筆書きは、早く書くための技法ですが、 今回は繋がりを確かめるように、あえてゆっくり書こうと思いました。 草書では筆を一続きに動かすので、「自」と「心」の間にある余白の部分も、 筆をどう動かしたか、すべて線に残すことができます。 でも、今回の「自」から「心」へは、あえていったん筆を紙から離し、 着地させることにしました。 実際に筆が紙から離れるのはほんの一瞬だと思います。 その一瞬で、紙から離れた筆先は、着地するところを探します。 着地する場所によっては、「自」と「心」のバランスが崩れ、「息」の字には見 えなくなる。だから何度も書き直しました。 そうして「自」から「心」へ、なかなかうまく繋がらず繰り返していると、 薔薇の匂いに気づかなかった自分のことを思い出しました。 匂いや香りはそこにあるはずなのに、そこで呼吸をしていてもわたしは気づかなかった。 わたしの感覚は心と繋がっていなかった。 けれど、薔薇の匂いが香ったと思ったとき、 「息」の字が、ひとつのまとまりとして組み合わさって成り立っているように、 わたしの「自」と「心」が結びつき、「息」になっていた。 筆が「心」を書き出すはじめの点にたどりつき、字を書き上げると、 「息」が示す「心の状態が呼吸にあらわれる」という意味がそこに見えるような 気がしました。 次回のテーマについて、お互いの「息」について考えたことから また話し出せたらと思っています。 華雪 香りの視点 No.002「息」 終わり
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華雪「息」 墨 306mmx466mm

Kasetsu "Breath" (Iki) Ink 306mmx466mm

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一井りょう「息」 4×5 フィルム :アナログ(手現像・手焼き)

Ryo Ichii "Breath" (Iki) 4x5 film : analogue (developed by hand)