#013 舘鼻 則孝(アーティスト)
美しさを定義することは、好きな人にその理由を伝えるくらいに難しい。
Noritaka Tatehana, Embossed painting series, 2016 Photo by Kenji Takahashi
私は、仕事に「美」の付く美術家だ。美術大学を受験するための予備校に通っていた時代には、ある種のひとつの答えを出さなくてはならない程に美と向き合った。
「舘鼻のデッサンは色が綺麗だ」と講師に褒められたことがある。しかしながら、鉛筆デッサンは実際に「色」というものは存在しないモノクロな世界だ。
そのような矛盾を内包したものが美の本質なのではないかとも思うが、私が伝えたいことはそんなニュアンスのことではなくもっと理論的なものだ。
絵を上手に描くということへの近道は、技術を習得するということとは少々異なってくる。実際に優れた絵画を描くために、最も重要になってくることは「筆の動かし方」では無い。
天才と呼ばれたパブロ・ピカソの絵は、誰でも描けるのではないかと言われたり幼稚にすら見えることもあるが、そう思わせるぐらいに絵を自然に成立させるロジックが存在する。
人間工学的とも言える鑑賞者の視線の誘導、面積比率から導かれた密度の対比まで、完全に計算し尽くされて構築されているのだ。
一見ぐちゃぐちゃに見える画面は、その複雑な要素とは裏腹に鑑賞者の目が触れた瞬間から、罠にかかってしまったかのように引き込まれる仕組みが機能し、人々を魅了する理由になっている。
そのような考え方をすると、人を魅了するような「美」も仕組まれているわけだ。言い換えると、仕組むことができるというわけだ。
私たちのようなアーティストと呼ばれる人間は、そのようなテクニックとロジックを備えた特殊能力を操っている。そんなことを踏まえた上で、最後に私の絵画の読解に挑戦してもらいたい。