#017 河原 シンスケ(アーティスト)
僕にとって、「美」は日常であり、又夢の中の出来事のような、非日常でもあります。
会社勤めをしているわけでは無く、良い意味では自由。
反面、仕事とプライベートの区別も全く無い、幾らでも怠けられる、ある意味恐ろしい生活を四半世紀も続けて来ました。
そんな中で僕の仕事と言えば、目に飛び込んで来る全てのもの、気配で気づく「美」を見つけ、キャッチしたいという欲望から始まっているのかもしれません。
そして、いつまで経っても子供のように空想の世界を楽しんだりもする。
これも僕自身にとっては大切な事ですが、周りの人にとってはちょっと厄介?な事かもしれません。
移動中の電車の肘掛の形や色。
駅弁のパッケージと料理の中身。
訪ねた場所のエントランスの花の色や大きさ。
ビーチに寝ころがってサングラス越しに見える海やパラソル。
石階段の形に至るまで……
何か新しいもの、「もしやこれこそが美」なのか?と疑心暗鬼を続ける、放浪の民なのです。
時に圧倒される完璧な造形美。たとえば、現代の西洋美術の源泉の一つである、古代ギリシャ時代の美術。
ギリシャ神話では神の姿は人間と同じ。“美しい精神と身体”=“肉体美”だったそうで、それについてはオリンピアで発祥したオリンピックアスリート達の裸体像やビーナスの名品として、現在も見ることが出来ます。
問題は、皆が平等に完璧な造形美を持って生まれてくるわけではないという点。残念ながら、かくなる僕もその枠外で生を受けました。
ただ、大切なのは、探求と努力。これはきっと全てにおいて言える事だと思うのです。
努力で物事は変えられる。
ブスッとするよりニコッと笑えば、それだけでも好感度は上がるし、「美」に近づける。
運動する事、掃除する事。だらけていては、肉体も精神もネガティブ要素が加算されてしまう。結局、前向きである事が「美」のスタートライン。
美しいと思うコップを一つ使う生活から始めてみる。
美しいものが増えてきたら、また次のステージでは新たな難関が待ち受けている。それこそが人生。
面倒臭いこと、大変な事、答えは直ぐには出ないかもしれないけれど、「美」は怠慢であっては得られないと思います。
頂上の素晴らしい景色を見る為に、努力して一歩一歩進む。
「美」はそんな大きな山みたいなものかも知れません。
そして僕は、今日もまた新しく美しい線が描けるか? もっと精進して行きます!