#030 ヨシダ ナギ(フォトグラファー)
アフリカにいくと「美」というものがわからなくなる。
日本で知らずに構築されてきた自分の中の定義が、音を立てて崩れさる。
カテゴリ分けがされていないものを日本人はあまり受け入れたがらない。
トレンドにはすべて名前がつく。
〇〇系男子。〇〇系女子。
もしかしたら、言葉というものをとても大切にしている国民性があるからなのかもと思った。
だから言葉で整理できないものを受け入れることにあまり慣れていないのだろう。
現地の言葉と比べると、言葉の種類は圧倒的に日本語の方が多いと思う。
極端な話、少数民族の言葉では「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「元気?」「ありがとう」が、たった一つの言葉で済むこともある。
でも、その陰にあるニュアンスや顔の表情などを本能的に汲み取って、どの意味なのかを感じているようにも思える。
(もしかしたら、意味なんて彼らにとって、どれでもいいのかもしれない。
ただ声をかけて、そこで出会った自分と相手の存在を確かめる。それだけで。)
日本とアフリカ、どちらがいいということはない。
ただアフリカで、容姿や服装で何か陰口や嫌なことをいわれた記憶はあまりない。
(アジア人は目が細い、体が細すぎると言われたことはあるが……。笑)
アフリカではよくも悪くも自分は自分、あなたはあなた。
一見、「他人に対して少し無頓着なのかな?」と思いきや、
少しオシャレをしたり、メイクを変えたりしてみると「超いいじゃん!」と、
とびきりの笑顔で褒めてくれたりもする。
いいもの、美しいと思ったものに関して素直に彼らは褒めて、認めてくれる。
否定せず、いいものだけを拾ってくれる。
一方、日本ではそんな類の(良くいうと)寛容さはない気がする。
どこのカテゴリに属するのかを、ひとめ見て決めようとする。
血液型占いのように。
自分も日本人だから血液型占いは好きなのだが、たまにそんなことに疲れたりする。
人の目はどうでもいい。
自分が着たいものを他人の目のために着飾るのではなく、自分が楽しい、テンションがあがるものを身につけ、肌に塗り、もっと人生を楽しめればいいと思う。
何か宗教的な意味や伝統的な意味がそこにあると思って、ある民族にボディペイントの模様の意味を聞いたことがある。
彼らから帰ってきた答えは
「意味ってなに?」。
多分そういうことなのだろう。