森山大道『犬と網タイツ』(月曜社)2015年より © Daido Moriyama
梅雨空に覆われて、高い湿度に髪の毛さえも翻弄されがちな梅雨の頃、写真が不思議と恋しくなる……。そんなかたはいますか? いたとしたらそのかたは写真の根源をこよなく愛する人なのだろうと信じます。
デジタル写真が生活の隅々にまで入り込んでいる今では少し忘れられがちですが、写真は水ととても親しい間柄でした。むしろ、水なくして写真は生まれてくることさえ出来なかったと言えます。フィルムに収められた写真は、最低限の照明だけが灯された暗室に持っていかれて現像処理をされます。そして、現像されたフィルムを印画紙に感光させてから写真が生まれてくるのですが、その間はいくつかの薬剤とともに水に絶えず触れ続けることになります。ミケランジェロ・アントニオーニの映画「欲望」では、感光されて水のなかに揺れる写真から次第に像が浮かびあがってくる様子が魅力的に描写されていますが、その場面には写真の水っぽい色気がたっぷりと詰まっていました。
ちなみにフィルムで撮られた写真たちは、現像するまで何がどのように写っているか確認することができません。スマホで撮った写真のようにすぐに画像を確認して、編集したり削除したり誰かに送ったりすることはできないのです。撮りきったフィルムをあえて現像せずにしばらく置いておき、ふと思い出した頃に現像をして、思わぬ過去の記憶を楽しんだり。さらに、暗室では光と影を自在に操りながら、生まれてくる写真の像に陰影を刻んだり。そこにはアナログならではの魅力も確かにあります。谷崎潤一郎が「陰翳礼讃」で書いていたように、薄暗く、じめりとした場所から立ち上がる美に対する、繊細な感性を築いてきた日本にとって、写真はとても相性の良いメディアだったとも言えるでしょう。
実際、世界の様々な価値観とともにジャッジされるコンテンポラリーアートにおいて、日本の芸術家たちの写真作品は確固たる評価を確立しているのですが、その日本の写真表現を常に先端で引っ張ってきた写真家のひとりが今回紹介する森山大道さんです。森山さんは1938年に大阪に生まれ、60年代以降は東京を拠点に活動をしています。
この作品は『犬と網タイツ』(月曜社刊、2015年)という写真集に収められた一枚の写真です。ショーウィンドウ越しにウィッグとキャップを被ったマネキンが撮られているのですが、『犬と網タイツ』という何とも芳しい写真集のタイトルも示唆するように、とても艶めかしい写真です。森山さんの写真作品は誤解を恐れずに言うなら、どの作品も非常に色っぽいのですが、この作品は画面左上のキャップからマネキンの鼻の下、下唇、顎、頬にかけての陰影が完璧に作られています。そして、乱れたウィッグの金髪が白黒写真のなかでハイライトとなり写真全体にスパイスを与えていて、思わずマネキンに見惚れてしまうようです。そうです、前回の五木田智央さんの絵画作品に続き、やはり優れた芸術作品はどこか色気があり、化粧に通じるエッセンスを含んでいるのでしょう……。(化粧の長い歴史と同じくらい長い芸術の歴史を想えば、当然なのかもしれませんが。)
森山大道さんは繊細さとファンキーさに彩られた色気をまとった写真作品を数多く発表してきました。それは森山さんならではの視線とともに、暗室での緻密な作業が裏打ちしたものでもあると言えるはすです。写真作品は、シャッターを押した指、そして、その瞬間の眼の記憶をいかに紡ぐか……。そんなロマンティックなものであるということを、森山さんの作品は教えてくれるようです。
〈作家情報〉
森山 大道 DAIDO MORIYAMA
1938年大阪府池田市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、写真家岩宮武二および細江英公のアシスタントとなり、1964年に独立。1968年写真集 『にっぽん劇場写真帖』 、1972年写真集 『写真よさようなら』を発表。アレ・ブレ・ボケと呼ばれる荒れた粒子、焦点がブレた不鮮明な画面、ノーファインダーによる傾いた構図を特徴とした、既存の写真制度を覆すラディカルな表現で写真界を震撼させた。その評価は内外の美術界に及び、世界各国で大規模な展覧会が開催されている。www.moriyamadaido.com
〈キュレーション・執筆〉
菊竹 寛 YUTAKA KIKUTAKE
1982年生まれ。ギャラリー勤務を経て、2015年夏にYutaka Kikutake Gallery を六本木に開廊。Nerhol、平川紀道、田幡浩一など、これからのコンテンポラリーアートを切り開いていく気鋭のアーティストたちを紹介。生活文化誌「疾駆/chic」の発行・編集長も務め、ギャラリーと出版という2つの場を軸に芸術と社会の繋がりをより太く、より豊かにするようなプロジェクトに挑戦中。www.ykggallery.com