「人生という1本のラインの上に。」 〈INTERVIEW〉archiディレクター 一色紗英さん(前編)
“LIFE/AGING”Sae Ishiki
“LIFE/AGING”Sae Ishiki
いくつになっても変わらない、自然体の美しさで人々を惹きつける一色紗英さん。20代前半まで女優として活躍していた彼女は、現在3児の母。自身がディレクションを行うブランド「archi」も、今年で20周年を迎えた。
何事にも肩肘をはらず人生を自分らしく楽しむその姿は、THREEの「エイジング」の捉え方と共鳴するものがある。葉山の豊かな自然の中に佇むショップ兼アトリエで、archiの服に身を包んだ素顔の彼女に、これまでの人生と今、そしてこれからの年の重ね方について話を聞いた。
自分の心に耳を傾け、“心地よい”と感じる光のある場所に
身を置いてきた結果、
今がある。
女優として活躍した後、より自分らしいライフスタイルへとシフトしていった彼女。
当時は何を感じていたのだろう。
「スカウトをキッカケに、13歳から働き始めました。あの頃に授かった人脈や経験は、今でも宝物です。ただ、私はまだ若くて、本当の自分ではない誰かにデコレーションされた自分でいなくてはならないということに、とても違和感を覚えていました。仕事として受け止めようとしても、どこか抵抗があり、心では受け入れられていなかったんだと思います。
そんな環境の中、自分のあり方を愛せなくなりそうだったので、高校生の頃から語学留学という名目で旅に出るように。最初はニュージーランド。その後はヨーロッパを周りました。旅先では何も装うことなくいられ、呼吸がしやすかったんです。日本にいる時は、社会性という服を脱げず、常に着ぐるみを着ているような状態でしたから。
同じ頃、シルクスクリーンのTシャツを手作りして売り始めました。当時は誰もがドメスティックブランドを好きに立ち上げられる自由な時代。一から自分で創り上げるTシャツ作りが、私にとって自分らしさの表現の場になりました。
そして19歳の頃は、一年の半分くらいをサンフランシスコで過ごすように。20歳からはバックパッカーもして、色々な場所へ足を運んでいました。旅は私に、自分らしく生きる智恵をくれました」
自己表現の1つであるTシャツ作りと、
ライフワークであった旅。
それが 「archi」のスタートに繋がっていく。
「archiは、旅で得たインスピレーションを基に作ったブランド。シーズンごとに国を決め、その国で買ったパーツを使い、その国から着想を得て洋服を作っていました。20歳でarchiをスタートしたのですが、女優という仕事も、archiも、なにか大きなキッカケではじまったというわけではないんです。全てが人生の1本のライン上にあり、歳を重ねるにつれ、自分の気付きやその時に興味を持ったことを、シンプルに感覚の中で探って動いてきただけ。
友人たちと手を繋いで出来た小さな輪がどんどん広がっていき、archiが出来てから流れるように20年が経ちました。友人がまた別の人と手を繋ぎ、そうして輪が大きくなっていく。広がる皆のご縁によって今があり、感謝しかありません」
20歳でブランドをスタートし、24歳で出産。
それは彼女が自分なりにイメージしていた人生だったという。
「23歳くらいまでに赤ちゃんを欲しい、そして30歳くらいまでに3人は欲しいなぁと思っていたんです。強くイメージしたことは引き寄せられるし、形になっていくんですよね。今、自分が親になると、13歳で芸能界に入り、20歳でブランドとバックパッカーを始め、24歳で出産という出来事がもし私の娘に起きたら、ちょっと驚くかもしれません(笑)。でも、娘の意思ならば、もちろん受け入れます。
私の母も、いつも私の選択を尊重し、応援してくれていました。母は見返りを求めず人に奉仕ができる人。同じ女性として、母としても尊敬しているし、1度も喧嘩したことがないんです。父からは不器用ながらもとっても溺愛してもらっていて、私はお父さんの膝の上で育ったと言えるくらい。父は母とは違って、私の旅には心配のあまり大反対でしたけど(笑)」
Tシャツ作りから始まり、
流れるようにスタートしたarchiも
今年で20周年を迎える。
「archiはファッションブランドではないと思うんです。ファッションというものは、もっとストイックなものだと思っていて、そういう他のブランドの姿勢もとても尊敬しているのですが、archiにはそういったストイックさは無く、もっとオープンで何でもシェアできる存在。“着心地がいい方が気持ちいいよね”という思想の一部なんです。
そういう意味では服も食事も、私の中では変わりません。大好きな人たちと憩っていたら、20年経ったという感じです。20年の間にライフスタイルも変化していき、その都度ブランドも少しずつ一緒に変化してきました。こうしてやり甲斐に溢れ楽しみながら続けられているのは、流動的に変化するブランドに、負の感情がひとつもない状態で対応してくれている皆さんのお陰。心から感謝しています」
子どもが生まれても、
ブランドへの取り組み方に変化はなかった。
子どもがいても働きやすい環境を自らつくることで対応してきたそう。
「仕事をしている時もプライベートの時も、私は何も変わりません。切り替えないとだめという人もいると思うのですが、私はずっとママのまま。マインドはいつも同じで、景観が変わるだけです。リアルな自分を忘れて仕事はできません。子どもが生まれてからの変化は、自宅と仕事場の距離を近づけるなど、環境の変化だけでした」
衣食住、何事においてもD.I.Yが好きだという一色さんにとっては、洋服を作ることもご飯を作ることも同じであるという。気持ちよく暮らすという軸を持ち、表現が違うだけ。
「それでも衣食住の中で、最も気を遣ってきたのは“食”。何を着ていてもどこで暮らしても何とかなるけれど、食べるものは血となり肉となるでしょう? そこは1番大事だと思うんです。もうお弁当歴も14年ですから。子どものスナックに持たせるお菓子作りも、毎日お米を炊くのと同じで習慣みたいになっていて。何があろうと胃袋は充実させてくれていたな、と子どもたちの記憶のどこかに残ってくれたらいいなと。
健やかな身体が健やかな心を保ってくれると思っています。その逆もまた然りですね」
インタビューの後編では、一色さんの魅力の源とも言える、伸びやかなライフスタイルと価値観、
そして「エイジング」という現象に対するポジティブな考え方について、たっぷり伺います。
(11月14日公開予定)