NYで個展を成功させ、アメリカ最大級のアートフェア「アート・マイアミ」にも出品。マイアミやNYで巨大な壁画を描くなど、国内外で注目のアーティスト、SHUN SUDO。1日のほとんどをアトリエで過ごす彼には、普段メイクをする習慣がない。だが、FIVEISMのファンデーションで肌のトーンを整え、アイライナーやマスカラを少し使って「自然にみえる」メイクをしたところ、その仕上がりがかなり気に入ったよう。
「ちゃんとやってみるとすごく気持ちいいですね。たくさんメイクしたわけではないのに、少しのことで印象がかなりちがってくる。鏡を見た印象としては、すごく変わったというより、『今日の俺、調子いいな!』って感じです。歯を磨くくらいの感じで、サッとできちゃうのもいいですね」
彼が本格的に画家を目指したのは、30歳を過ぎてから。学校にも通っていないし、師匠と呼べるような人間もいない。絵の技術はすべて独学で身につけたものだ。
「子どものころ、歌舞伎の子役をやっていて歌舞伎座とか大きな舞台に出演していたんです。そのころはなんとなく自分は芸能人になるんだろうなあと思っていました。でも中学生くらいになると、アートやデザインに興味を持つようになりました。もともと絵を描くのは好きだったんです。『ドラゴンボール』のキャラクターとかよく描いていましたね。勉強は苦手だったので18歳でオーストラリアに行って、そのあとアメリカでバックパッカーを1年くらいやって。日本に帰ってきてからもいろいろな仕事をしましたが、その間もずっと絵は描いていたんです。友達に頼まれてスケートボードのデッキやサーフボードに描いたり、海外のビーチでボディペイントのようなことをやったりしたこともあります」
その後、縁あってデザイン事務所に就職。そこでイラストレーターとしての仕事をするようになった。仕事としては順調そのもの、依頼も増えていくようになったが、それと比例するように彼のなかである思いが大きくなっていった。
「誰かに頼まれて、誰かのための絵を描くのも嫌いではないんです。でもやっぱり自分で、自分のためだけに絵を描きたいと思うようになっていきました。絵を描くのが好きなだけで、勉強したわけでもないし、賞とかももらったことはない。でもとにかく自分の絵を描いて生きていきたいと思ったんです。当時は、画家とイラストレーターの区別もつかなかったんですが、とにかく動かなきゃと考え、NYのギャラリーに片っ端から自分の絵と履歴書をメールしてみたんです」
しかし当然のように返事は返ってこない。そこで彼は、さらなる実力行使に出る。
「ダメもとで、自分の絵をもってNYに行ったんです。アポなしでギャラリーをまわって『絵を見てくれ』って。予備知識がまったくなかったので、ウォーホールのような作家しか扱わない超有名ギャラリーにも飛び込みで行きました(笑)。毎日、何十軒もまわったんですが、そのうちの1軒で絵を見てもらえて、そのまま個展を開くことになったんです」
その個展が話題を呼び、さまざまなギャラリーやアートフェアから声がかかるようになったというから人生は面白い。その作風は変幻自在。水墨画のような繊細なタッチでモノクロの街を描いたかと思えば、そのうえにストリートアートのグラフィティのようなタッチで彩色。さらにはアメリカンコミックから飛び出したようなポップな動植物がそこに同居する。何人もの画家が重ね描きしたような“ペイントオーバー”の手法は、確かな画才があってのものといえるだろう。そういって朗らかに笑うSHUN SUDOが何気なく手にとったのは、独特のカラーリングで知られるFIVEISMの「ネイルアーマー」。
「これ、試してみていいですか?」
そう言うと彼は18色のネイルアーマーを使って、自らの爪をどんどん塗り始めた。後編では、彼が塗り上げたネイルの作品を紹介する。
SHUN SUDO
幼少期に歌舞伎子役を経験し伝統芸能に触れ、⻘年期は海外生活を送りながらアートへの興味を高める。2015年、NYで開催された個展をきっかけに和とポップアートをミックスした独自の作風が世界的に高い評価を受ける。写真は東京・千駄ヶ谷のREALGATE HEAD OFFICEの壁に描いた自らの作品の前で撮影。
HP:www.shunsudo.com Instagram:@shun_sudo